比叡山から帰って数日後、石清水八幡宮へ行きました。
イメージ 1京阪八幡市駅を降りて、
右手に進むと男山ケーブルで
楽して登れますが、
比叡山の峰道を歩いた不確かな自信から、徒歩で登ることにしました。






イメージ 2駅前を左に回り込むように進むと、
正面に一ノ鳥居が見えます。
鳥居をの手前に、「神應寺」の白い道標がありますので、右に曲がります。
道は緩やかな登りで、左にカーブしていきます。





イメージ 3直ぐに神應寺の山門が見えてきますが、山門をくぐって進むと
長く急な石段が続きますので、
山門を通り過ぎます。










イメージ 4すると、直ぐに高野山奥之院でおなじみになった、大きな五輪塔に出ます。
この五輪塔は、高さ6m、地輪の一片
2.4m、全国最大規模の鎌倉時代の石塔で、国の重要文化財に指定されています。
この石塔には刻銘が無く、造立の起源が不明なため、様々な伝説があります。

その①
摂津尼崎の商人が、中国宋との貿易の
帰途、石清水八幡宮に祈って海難を
逃れ、その恩に報いるために建立されたと伝えられています。
航海の安全を祈って参詣されることから「航海記念塔」とも呼ばれています。

その②
亡き父母の忌明けの日に参り、喪の汚れを清めたことから「忌明塔」
とも呼ばれています。

その③
鎌倉時代の武士の霊を慰めるために建立された武者塚。

その④
石清水八幡宮を勧請した行教律師の墓。
どれが真実なのか?それとも別にあるのか?解明は難しそうです。
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お墓の歴史HPで五輪塔が解説されていましたので、引用します。
以下、お墓の歴史HPから引用
「■ 五輪塔は真言宗開祖「空海」によって考え出された墓塔とされている。
空海は、この宇宙は六つの構成要素から
成り立つとした。
これを「六大体大」と呼ぶ。
「六大」とは「地・水・火・風・空・識」の六つの存在要素を指し、このうち
「地・水・火・風・空」の五つを「五大」と
いい、物質的な存在を表す。
   「地」は大地であると同時に、
固体を表す。
   「水」は流れたり、移動したり、下降するもの、つまり水や液体を表す。
   「火」は燃え上がり、上昇するものであり、
   「風」は動く気体を表す。そして、
   「空」は空間を表している。
 
この「五大」に、精神的な存在である「識」が加わって「六大」となる。
「識」とは認識作用のことで、
宇宙は物質だけでなく、そこに認識作用が加わってはじめて存在するとされる。
空海は「識」のことを「智」とも「覚」とも「心」とも言っているが、
つまりは我々の精神活動を言っている。
また、全ての物質の形は宝珠・半円・三角・丸(玉)・四角の五つの相で成り立つ
とし、これらを組み合わせることによって五輪塔の形を作り上げた。

また、人間も小宇宙であり、五大要素によって構成されているとし、
    地輪(方形)=体
    水輪(円形)=血液
    火輪(三角形)=体温
    風輪(半円形)=呼吸
    空輪(宝珠形)=これらがうまく融合した状態のことであると説いている。
   
五大は人間の五体、つまり人を表し、大自然そのものを表している。
墓塔の五輪塔は、この宇宙観から生まれた。
墓石に「五大」の「地・水・火・風・空」を表し、宇宙=人間を表現する。
ここに「識」が加わってはじめて宇宙=人間が成り立つのである。
つまり、召還=お性根入れ=開眼法要を行うことによって、
「六大」が完成するわけである。
新しく墓石を建立したとき開眼法要を行うのは、
墓石に心=魂を入れることに外ならない。
そうしてみると、墓石には「魂」、「心」が宿っている訳であるから、
決して粗末には扱えない。
また魂があるからこそ、そこに「相」を見ることもできる。
正しい「相」を見ようとすれば、純粋無垢な白色系統の石材が好まれるのは当然の事と言えよう。
また、「相」が現れなくなるということは、墓としての「力」が弱まってきたことを示す。
つまり、墓は生きているということである。」---ここまで
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五輪塔から坂道を登ります。
左手に神應寺の無料駐車場があります。
駐車場から山中へと入り、
まもなく男山ケーブルの鉄橋の下をくぐります。
この鉄橋は、旧余部鉄橋と同じ
トレッスル橋で、全長108.7m、
高さが43mでケーブルの路線としては
日本一の高さを誇っています。









イメージ 7鉄橋下から更に坂道を登っていくと、
杉山谷不動尊に出ます。
この不動尊の由来は、石清水八幡宮が
勧請された頃に遡ります。
その時代、この地域に諸人に害を加える怪異な事件が多発していました。
諸国行脚の途にあった弘法大師がこれを聞き、妖怪を封じ込められました。
そして、お告げにより、大和国より
厄除け不動尊をこの地に祭祀され、
自ら十一面観世音菩薩と大師像を
刻まれて安置されました。
天正17年(1589)に再建されました。
織田家、豊臣家、徳川家の信仰を受けましたが、昭和10年の山津波で流失しました。
幸い本尊は無事で、現在の祠は昭和47年に再建されました。
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不動尊に向かって右の緩やかな坂道を登っていくと、
再びケーブルの鉄橋下をくぐり神應寺に出ます。













イメージ 9神應寺は、貞観2年(860)、
石清水八幡宮を勧請した行教律師
によって建立されました。
はじめは「應神寺」でしたが、
天皇の号をはばかり「神應寺」
と改めました。
本尊は行教律師座像で、
国の重要文化財に指定されています。
八幡市では一番の古刹で、
本堂西側の小高い墓地には、
江戸時代の豪商、5代目淀屋辰五郎が眠っています。
ちなみに大阪の「淀屋橋」は淀屋が架けた橋です。
予約すれば、10時~16時の間で拝観も可能です。
拝観料は500円で、説明案内が有ります。
ここは先を急いでいますので、急な石段を下って山門に出て、一ノ鳥居へと向かいます。
明日に続く