イメージ 1内拝殿の右側には、神楽殿があります。
明治15年(1882)に能楽殿として建造され、翌明治16年9月15日には舞台披きの能が行われました。
以来、春秋に定期的に奉納能が演じられるなど伏見稲荷大社の能舞台は使用されていたそうです。
昭和34年の稲荷大社修復の際に、能舞台は西側後方に移転、同時に橋掛かりが舞台に対して直角になるように変更され、名前も「能楽殿」から「神楽殿」へと改められて以来、能が演じられた記録はないそうです。
イメージ 2突き当りには、5基の神輿庫があり、
4月20日の「稲荷祭」では、4月20日に最も近い日曜日に神幸祭が行われ、田中大神を先頭に5基の神輿が、堀川通の京都駅と九条通の中間辺りにあるお旅所へと巡幸します。
5月3日の還幸祭で、再びこの神輿庫に戻されます。



イメージ 3神輿庫の左側に権殿(ごんでん)があります。
現在の権殿は、寛永12年(1635)に再建されたものですが、明応年間(1492~1501)の「明応遷宮記録」によれば、「仮殿・若宮」として、この頃には建立されていたと推定されています。
重要文化財に指定されています。



イメージ 4権殿横の石段の上り口には鳥居があり、その脇の狛狐は巻物と宝玉をくわえています。
















イメージ 5石段を上がって左側、手前の末社
「長者社」は、明応年間(1492~1501)の「明応遷宮記録」にすでに現れていて、元禄7年(1694)以前の建物を、現在の場所に遷したと考えられています。
祭神は、秦氏の祖人です。
秦氏は5世紀(401~500年)前後にこの地に進出したとみられています。
奈良時代、711年の初午(はつうま)の日に、稲荷大神(いなりおおかみ)が、稲荷山の三峰に示現したとの伝承があり、創始となったとされています。
秦公伊侶具(はたのきみいろぐ)の「餅の的」記述が伝わっています。
以来、秦氏一族は禰宜(ねぎ)、祝(ほふり)となって祭祀奉仕を行うようになりました。
イメージ 6長者社の隣、「荷田社」は、伏見稲荷旧社家の荷田氏の祖神を祭神としています。
この社殿は、安元2年(1176)荷田氏の祖、荷大夫没後に祀られたとされ、
元禄7年(1694)に現在の場所に再建されました。




イメージ 7荷田社の隣、「五社相殿」は、境内に祀られていた五社を、元禄7年(1694)に現在の場所に祀られました。
左から蛭子社・猛尾社・若王子社・
日吉社・八幡宮社が祀られています。






イメージ 8五社相殿の隣、「両宮社」は、天正17年(1589)の社頭図に「伊勢両宮南向再興」とあり、神明造の社が描かれていました。
元禄7年(1694)に現在の場所に再建されました。













イメージ 9山手には、安政6年(1859)に建立された「供物所」があります。
この建物は、稲荷山に座す神々への供物をする所として建立され、正面中央格子戸の下部に開口部があり、供物を外部より差し入れることができるような造りになっています。




イメージ 10供物所の右隣には、神馬舎があります。
こちらの建物は、古そうですが解説の立て札が無いので詳細は不明です。












イメージ 11神馬舎の右隣、「玉山稲荷社」は、
東山天皇が宮中で祀られていたものを、明治8年(1875)にこの地に遷座されました。













イメージ 12奥宮へと向かう参道の鳥居です。










イメージ 13鳥居の奥にも神馬舎があり、神馬は昭和13年に、仔馬は昭和57年に奉納されたものです。
















イメージ 14石段を上ると奥宮があります。
奥宮は、天正年間(1573~1592)に建立され、元禄7年(1694)に修復され、
重要文化財に指定されています。
祭神は、稲荷大神を祀ることから、他の境内社とは別格の社とされています。





イメージ 15奥宮に隣接する白狐社(びゃっこしゃ)は、寛永年間(1624~1644)に建立され、元禄7年(1694)に今の玉山稲荷社辺りに祀られていたのを、現在の場所に遷されました。
重要文化財に指定されています。
祭神は命婦専女神(ミョウブトウメノカミ)であることから、命婦社とも呼ばれていました。
稲荷信仰では白狐のことを命婦とも呼び、次のような伝説からキツネは、稲荷神の使者となりました。

「昔、京都の船岡山の辺りに老いたキツネの夫婦がいた。
牡は銀の針を立てたような白毛で、尾は五鈷を巻きはさんだようであった。
牝は首は鹿で身体はキツネで、五匹の子狐をつれていた。
弘仁年中(810~824)、両狐が五匹の子狐をつれて稲荷山に参り、神前にぬかずいて、我らは畜生の身だが、生まれたときから霊智を供え、世を守り諸人を助けようとの願いをもっている。
しかし、狐である我らの身では、この願いを遂げるのは難しい。
願わくば、今日から当社の眷属となり、神威をかりてこの願いを遂げたい」と申しでた。
これを聞いた稲荷神はよろこんで、「汝等の願いは殊勝である。
よって、今から長く当社に仕えるものとなり、参詣の人・信仰の輩を助けよ。
男狐は名を「小薄(コススキ)」と名乗って上之宮に仕えよ。
女狐は「阿古町(アコマチ)」と名乗って、下之宮に仕えよ」と告げられた。

この先、すっかり有名になってしまった千本鳥居へと続きます。