早尾神社へは、733号線から八幡宮社の手前、「付近観光案内図」が
立っている分かれ道を左に進みます。
この案内図には、早尾神社は描かれていません。
分かれ道には、「この先通り抜けできません」との注意書きも見られます。
この案内図には、早尾神社は描かれていません。
分かれ道には、「この先通り抜けできません」との注意書きも見られます。
集落から離れると、上り坂が急になり、その坂を登りきる手前の
山の手に小さな立て札があります。
道路脇にバイクを止めて、登って来た集落の方を振り返ると、
一気に高度が上がったことが実感できます。
直線に開かれた山道を5分くらい登ります。
山頂に、まだ新しい「桓武天皇」の石碑が建っています。
この地は、大原野石作町灰谷で、古くは石作郷と呼ばれていました。
平安時代、小塩山山麓は、貴族の狩場とされ桓武天皇も訪れたようです。
平安時代、小塩山山麓は、貴族の狩場とされ桓武天皇も訪れたようです。
隣には役小角(えんのおづの)の石像が安置されています。
元は小塩山山麓に安置されていたのを、平成2年御神託により
元は小塩山山麓に安置されていたのを、平成2年御神託により
桓武天皇の御霊代とともに、この山頂に遷されました。
役小角は、熊野や大峰山で修行を重ね、修験道の基礎を築いた人物で、
愛宕山を開基しました。
愛宕山への道中、この石作郷に立ち寄られたのでしょうか?
駒札には、「石作郷と縁が深く」と記載されています。
愛宕山への道中、この石作郷に立ち寄られたのでしょうか?
駒札には、「石作郷と縁が深く」と記載されています。
山頂からは棚田が望まれ、のどかな景色を楽しむことができます。
祠の奥から下って行くと、早尾神社へと出ます。
早尾神社の鳥居は、平成元年に再建されました。
神社前の駒札では現在、大歳神社の相殿に祀られている石作神社と
菩提寺の石作寺が石作郷にあったと記載されています。
石作寺は、平安時代には存在していて、鎌倉時代~室町時代に廃絶した
石作寺は、平安時代には存在していて、鎌倉時代~室町時代に廃絶した
とみられています。
詳細は不明なため、この地に創建されたのか、八幡宮社だったのか?
詳細は不明なため、この地に創建されたのか、八幡宮社だったのか?
何か手掛かりでも見つかれば...と思います。
鳥居をくぐった右側にあるこじんまりとした稲荷社。
早尾神社の祭神は、国常立命(くにのとこたちのみこと)、
社殿の背後には、遥拝所の石碑が建ち、
隣に「宗忠大神遥拝所」の石碑が建っています。
石碑の先を進むと登って来た坂道に合流します。
下りは、よく滑るので注意を払って無事に下れました。
下りは、よく滑るので注意を払って無事に下れました。
直ぐ先に峠がありますので、歩いてみました。
標高642mの小塩山の山頂が望まれます。
標高642mの小塩山の山頂が望まれます。
山頂は淳和天皇の遺灰を散骨した場所とされ、
大原野西嶺上陵(淳和天皇陵)があります。
また、山頂には多くの無線中継塔が建っています。
断層の活動で尾根の先が途中で切れ、三角形をした小山が幾つも見えます。
左側には山肌にへばり付くような、小さな集落も望まれます。
山側から吹き降ろしてくる風が涼しく、しばらく景色に見とれていました。
山側から吹き降ろしてくる風が涼しく、しばらく景色に見とれていました。
三鈷寺への急峻な参道があるらしいのですが、
三鈷寺へは改めて善峰寺へ行く時に一緒に周ろうと思います。
十輪寺へ向かいます。
続く