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紀伊田辺駅
太古から熊野は死者の国、伊弉冉(いざなみ)が赴いた黄泉(よみ)の国と
考えられていました。
平安時代末期になると、熊野では神仏が習合し、神々は本地仏が仮の姿をとって
現れたものとされるようになりました。
熊野本宮大社の本地仏は、阿弥陀如来で西方極楽浄土、速玉大社の本地仏は、
薬師如来で東方浄瑠璃浄土、そして那智大社の本地仏は、千手観音で
南方補陀落浄土の地であると考えられ、平安時代以降には熊野全体が
浄土の地であるとみなされるようになりました。
熊野御幸(くまのごこう)と呼ばれる貴族や上皇・女院の参詣が
さかんになっていきます.
やがて、それは庶民にも広まり熊野詣と呼ばれるようになりましたが、
熊野への道程は、京都からは約1ヵ月もの日数が必要でした。
その熊野詣を一泊二日の強行スケジュールで行ってきました。
早朝、京都5:43発の快速・網干行で新大阪まで行き、新大阪で6:15発の
紀州路快速・湯浅行に乗換え、7:49に和歌山駅に到着しました。
この紀州路快速は、4両しか連結していませんので、始発駅である新大阪駅から
和歌山まで混みあっていました。
和歌山駅の改札口を出た所にあるセブンイレブンで、朝食と昼食の弁当を購入し、
8:05発の各駅停車・紀伊田辺行に乗込みました。
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熊野古道号
車中で朝食を済ませ、9:55に紀伊田辺駅に到着、駅前から明光バス10:18発の
快速・熊野古道号で本宮大社へと向かいました。
バス内で昼食を済ませ、本宮大社前に11:50に到着。
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本宮大社の大鳥居に向かいます。
鳥居の前の、波と八咫烏の大きな垂れ幕が目を引きます。
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「熊野大権現」の旗が参道の両側にたなびいています。
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参道を進み、短い石段を上った左側に功霊社があり、
戦没者の英霊が祀られています。
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功霊社の上手に祓戸大神(はらえどのおおかみ)が祀られています。
祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことであり、祓戸大神とは祓を司どる神
であることから、本宮大社に参拝する前に参っておきたい所でもあります。
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祓戸大神から石段を上った所に手水舎があります。
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手水舎で身を清め、少し上れば神門が見えてきます。
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石段を上った左側に社務所があります。
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社務所前に「たらようの木」が植えられています。
インド原産の常緑樹で、古くは葉の裏に針等で経文や手紙を書いたと云われ、
「葉書」の語源ともなりました。
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「たらようの木」の横に、黒く塗られた八咫烏ポストが設置されています。
このポストに手紙や葉書を投函する前に、社務所で「出発の地より心をこめて
 熊野本宮」というスタンプを、押してもらうことができます。
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ポストの横から正面に進んだ所に拝殿があります。
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授与所
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授与所の奥に旧社号標「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」が建っています。
平安時代初期に編纂された延喜式神名帳に「熊野坐神社」の記載が残され、
明治4年(1871)に正式社号として登録されました。
この社号標は、時の首相・近衛文麿の揮毫(きごう)により、
昭和15年(1940)1月に建立されました。
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旧社号標が建つ奥は立入禁止になっています。
鳥居などが立ち並んでいて気になる場所です。
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神門から内部は撮影が禁止されています。
社殿は、右に第四殿の東御前があり、若宮とされ、天照大神が祀られています。
第四殿の左が、第三殿の本宮の証誠殿で、家津美御子大神(素戔嗚尊)が
祀られています。
第三殿の左が、横長に大きい結宮で、第二殿は中御前で、速玉大神が
祀られています。
結宮の第一殿は西御前で、夫須美大神が祀られています。
社殿が並ぶ左側にひっそりと満山社の小さな社があります。
以前は四方に木が植えられ、四辺を数十個の丸い石で縁取られた中央に、
半分ほど埋められた丸石(玉石)を祀っただけでした。
社殿は平成19年(2007)に115年ぶりに復興されました。
祀られている玉石は、結ひの神・八百万の神とされ、親と子の結ひ、
夫婦の結ひ等人と人の縁を結ぶ再生の玉石と紹介されています。

境内には「おがたまの木」が植えられています。
神木・霊木として古代から神聖視されきたモクレン科の常緑樹です。
「招霊」(おぎたま)から転化したもので、和歌、俳句の季語にも
用いられています。
日本神話においては天照大神の天岩戸隠れにおいて天岩戸の前で舞った
天鈿女命(アメノウズメノミコト)が手にしていたとされ、
古くには榊などとともに神前に供える木として用いられました。
このことから地方に於いては、真榊とも言います。
果実がはぜて中の真っ赤な種子が見える姿より神楽鈴が考え出されたと
伝えられています。
また平成4年(1992)に皇太子殿下が参拝され、その時に記念植樹された
梅の木がきれいな花を咲かせていました。
和泉式部の祈願塔とされる笠塔婆には、以下のような伝説が残されています。
「本宮大社まであともう少しというとき、月のしるし(月経)があらわれます。
そのとき式部は歌を詠みました。
晴れやらぬ 身の浮き雲の かさなりて(棚ひきて) 
月のさはりとなるぞくるしき(悲しき)
遠い昔、神社参拝に血の穢れは禁物とされていました。
式部も月のしるしがあらわれた身では参詣できないという嘆きを歌に託し、
ここから熊野本宮大社を伏して拝んだのです。
するとその夜、熊野権現が夢の中に現れ、式部に歌を返しました。
もろともに 塵にまじはる神なれば 月のさはりも何かくるしき
和光同塵の神であるから遠慮せず参詣するように、とのお告げです。
こうして式部は晴れ晴れとした気持ちで、無事に参詣を果たすことが
できたのでした。」
産田社へ向かいます。
続く