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14:22に権現前のバス停に着き、ここから西に進んだ所に熊野速玉大社があります。
「下馬橋」と言っても下に水が流れている訳でもありませんが、
その橋を渡った先に一の鳥居が建っています。
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鳥居をくぐった先に佐藤春夫の句碑が建っています。
「秋晴れよ 丹鶴城(たんかくじょう)址 児にみせむ」
佐藤春夫は、新宮で生まれ育ち、速玉大社の近くに記念館がありますが、
時間の都合で拝観はできません。
尚、丹鶴城とは新宮城のことです。
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句碑の先、参道は右に折れ、その先に二の鳥居が建っています。
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二の鳥居の先の右側に八咫烏神社と手力男神社が並んでいます。
八咫烏神社の祭神は建角見命(たけつぬみのみこと)で、末社として古くから
丹鶴山麓に奉祀されていたのですが、昭和37年(1962)に現在地に遷されました。
手力男(たぢからお)神社の祭神は天手力男命(あめのたぢからおのみこと)で、
延喜式神明帳に「紀伊国牟婁郡 手力男命神社」とある式内社で、
元は神門内にあったが、弘仁4年(813)に嵯峨天皇の勅命により
現在地付近に遷されました。
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二社の先に熊野神宝館がありますが、やはり時間の関係で素通りします。
しかし、総数1,000点を超える古神宝類が保存されているとのことで、
またいつか機会があればぜひ立ち寄りたいと思っています。
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神宝館の前に弁慶像が建っています。
弁慶の出自は、速玉神社に仕えた熊野三党の一つ、鈴木一族とされています。
源義経の叔父である新宮十郎行家は、新宮別当家嫡流の
行範(のちに19代熊野別当に就任)の妻となった
鳥居禅尼(たつたはらの女房)の同母弟として生まれ、
しばらく熊野新宮に住んでいたため新宮十郎と称しました。
都落ちした義経と行動を共にし、北条時定の手兵によって捕らえられ、
長男・光家、次男・行頼とともに斬首されました。
義経と新宮十郎、そして弁慶と何らかの関係性が想像されます。
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扇立祭の舞台
扇立祭は、毎年7月14日の午後5時~午後9時に行われる例祭で、 
国宝桧扇の写しが神前に開帳され、神事が執り行われるそうです。
当日は夜店が並び、納涼を兼ねた紀南最大の夏祭りになるそうです。
この舞台は、祭りの日にどのように使われるのでしょうか...?
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熊野神宝館の向かい側に、御神木である梛(なぎ)の大樹が葉を茂らせています。
平安時代の平治元年(1159)に、熊野三山造営奉行であった平重盛が、
社殿の落成の際に手植えしたと伝わります。
樹高約20m、幹回り約6m、樹齢は850年余りとされ、ナギとしては国内最大で、
国の天然記念物に指定されています。
ナギは凪に通じることから、神木として植樹されることが多く、
ナギの実を束ねたものやナギの枝を護符にします。
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熊野神宝館の先、左側にある大禮殿は鉄筋コンクリート造りです。
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熊野神宝館の先。右側には手水舎があります。
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手水舎の奥に熊野稲荷社があります。
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神門をくぐります。
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拝殿
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拝殿の奥に結宮、速玉宮、少し小さ目な奥御前三社殿、上三殿
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上三社殿
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下八社殿

第一殿、結宮、祭神:熊野夫須美大神(熊野結大神)
第二殿、速玉宮、祭神:熊野速玉大神
奥御前三社殿は、境内摂・末社
上三殿、第三殿、証誠殿、祭神:家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)・
国常立尊(くにのとこたちのかみ)      
    第四殿、若宮、祭神:天照大神
        神倉宮、祭神:高倉下命(たかくらじのみこと)
八社殿、中四殿、第五殿、禅児宮、祭神:天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
        第六殿、聖宮、祭神:瓊々杵尊
        第七殿、児宮、祭神:彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
      第八殿、子守宮、祭神:鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
    下四社、第九殿、一万宮、祭神:国狭槌尊(くにのさづちのみこと)
            十万宮、祭神:豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
        第十殿、勧請宮、祭神:泥土煮尊(うじにのみこと)
        第十一殿、飛行宮、祭神:大戸道尊(おおとのじのみこと)
        第十二殿、米持宮、祭神:面足尊(おもたるのみこと)

熊野速玉大社は、熊野速玉大神(イザナギノミコト)、と
熊野夫須美大神(イザナミノミコト)を主祭神としています。
速玉は映霊で、イザナギノミコトの映え輝くばかりの力強い神霊の意で、
夫須美はイザナミノミコトの万物を産み成し、幸を給う女神としての大神徳を
称えた御名とされています。
熊野三山の中心となる熊野速玉大神・熊野夫須美大神・家津美御子大神の神々が、
神代の頃に神倉山に降臨されました。
景行天皇の58年(128)に、現在地に社殿が造営され3柱の神々が遷され、
神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ばれるようになりました。
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境内の右側に参集殿があります。
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参集殿横の植え込み
天皇の歌碑が建てられています。
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境内の左側に東門があります。
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東門の左側に熊野恵比寿神社があります。
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耳の遠い恵比寿様に気付いてもらえるように木槌が用意されています。
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熊野恵比寿神社の左側に新宮神社があります。
神倉山へ向かいます。
続く