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祈祷殿を通り過ぎて、左に曲がった先に「御戎之鐘」が保存されています。
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慶長15年(1610)3月付の銘が有り、豊臣秀頼の寄進より再建された
翌年に当たることから、秀頼の奉納によるものと考えられています。
かって、西宮神社にも鐘楼があったそうです。
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拝殿の前、左右に青銅製の狛犬と馬像が奉納されています。
狛犬は天保12年(1841)に奉納され、馬像は明治32年(1899)4月から
神社境内に作業所と鋳造場も設けて11月に完成させています。
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また、阪神大震災で落下して破損した境内末社・松尾神社の狛犬も置かれています。
寛政2年(1790)に奉納されたものですが、平成7年(1995)1月17日に発生した
阪神淡路大震災で台石から落下し、破損しました。
平成27年、震災より20年に当たることから、
震災の記憶としてこの場所に移されました。
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本殿は、向かって右から第一殿、第二殿、第三殿からなっています。
第一殿には主祭神である蛭児(ひるこ)大神が祀られています。
記紀によると、蛭児は伊弉諾と伊弉冉の間に生まれた子で、身体に障害があり、
三歳になっても立つことができず、葦の船に乗せて流されたとされています。
その後『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着き「夷三郎殿」と称する
海を領する神となって祀られるようになりました。

中央の第二殿には天照大御神が祀られ、明治初年から大国主大神
配祀されるようになりました。
西宮神社は、明治5年(1872)3月に廣田神社から分社し、
翌年6月に西宮戎社を大国主西神社と改称しました。
その後の変遷を経て、第二次大戦後、西宮神社と廣田神社は別々の宗教法人となり、大国主西神社は社格を持たぬ神社として、西宮神社の境内神社となりました。

左の第三殿には須佐之男大神が祀られています。

西宮神社は神仏霊場巡拝の道67番(兵庫2番)の札所になっています。
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本殿の左側に火産霊神社(ほむすびじんじゃ)があり、
火皇霊神(ほむすびのかみ)が祀られ、火伏の神として信仰されています。
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火産霊神社の左側に百太夫神社があります。
人形操りでえびす神を慰めたと伝えられている百太夫という人物が祀られています。
かつて、現在地の北東に当たる産所町付近に、
その人形遣い(傀儡師=くぐつし)達が住んでいたと伝わり、
その地に祀られていました。
江戸時代末期の天保10年(1839)に現在地に遷され、
産所町には傀儡師の像が建てられています。
傀儡師たちは「えびすかき」とも呼ばれ、えびす神の人形を操って神得を説き、
巡業を行ってえびす信仰を全国に広めていきました。
時代の変遷により、西宮の人形操りは淡路島に移り、
浄瑠璃と結び付き人形浄瑠璃を生み出しました。

元来、百太夫神は疱瘡(天然痘)に霊験のある神とされ、庶民信仰では
子供の病気予防のため、御神体の顔に塗られたおしろいを子供の額に付けて、
健康に育つようにとする習わしがありました。
西宮神社では、現在でも初宮参りで百太夫神社に参拝し、
赤ちゃんの額におしろいを塗り、健康の祈願が行われています。
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百太夫神社の左奥に六甲山神社(むこやまじんじゃ)があり、
菊理姫命(くくりひめのみこと)が祀られています。
菊理姫命は、白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と
同一神とされ、山の守護神です。
かつて「向か津峰」と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社の社領であり、
六甲山上には今も廣田神社の奥宮である石宝殿が祀られています。
六甲山神社は、その方向に向かって建てられています。
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六甲山神社の左側、東向きに大国主西神社があり、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなびこなのみこと)が祀られています。
西宮神社自体を式内「大国主西神社」とする説があります。
明治3年(1870)、西宮神社は「大国主西神社」と改称しました。
明治7年6月、大国主西神社(現・西宮神社は)県社に列格しましたが、
この頃、境内末社の大己貴社を大国主西神社であるとする説が挙がり、
教部省は同年8月に大国主西神社(現・西宮神社)の県社指定は取り消されました。
同年11月、大国主西神社を西宮神社に、大己貴社を大国主西神社に改称して、
共に県社に指定されました。
西宮神社の改称問題は、厳密に言えば現在でも解消されていないようです。
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大国主西神社の左側に神輿殿があります。
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神輿殿の左方向に神明神社があり、豊受比女神(ととうけひめのかみ)が
祀られています。
神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神であり、
後に稲荷神(倉稲魂命=うかのみたまのみこと)と習合し、
同一視されるようになりました。
社殿は、明治6年(1873)に大坂奉行所・西宮勤番所の敷地内から
現在地に遷されました。
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神明神社の左側に松尾神社があり、大山咋神(おおやまくいのかみ)、
住吉三前大神(すみよしのみまえのおおかみ)、猿田彦命が祀られています。
大山咋神の「くい」とは、杭のことで、大きな山に杭を打つ神、
すなわち大きな山の所有者の神を意味し、
また、農耕(治水)を司る神とされています。
住吉三前大神は住吉三神と思われ、猿田彦命は、邇邇芸尊(ににぎのみこと )が
天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた=道がいくつもに分かれている所)
に立って高天原から葦原中国までを照らした神です。
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松尾神社から東方向に進むと池があり、池に架かる石橋を渡って
池の中に浮かぶ島へと向かいます。
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島には市杵島神社があり、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が
祀られています。
市杵島姫命は天照大神の子で、邇邇芸尊が降臨に際し、養育係として付き添い、
邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神とされました。
後の時代の神仏習合においては本地垂迹で弁才天に比定され、
江戸時代の貞享3年(1686)に描かれた絵図には「弁才天」と記載されています。
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市杵島神社がある島からもう一つの島へと橋を渡ると、
自然石が積み上げられた上に宇賀魂神社があり、
宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)が祀られています。
宇賀御魂命は、伏見稲荷大社の主祭神であり、
すべての生き物の生育を司る神とされています。
室町時代の文明年間(1469~1486)以前からこの地に祀られていた
との記録が残されています。
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島には伊勢神宮遥拝所もあります。
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島から拝殿正面に「瑞寶橋」と名付けられた石の太鼓橋が架かっています。
今では渡ることはできませんが、明治4年(1871)に奉納されたもので、
六甲山産の花崗岩が用いられた橋長5.5m、幅員2.5mの石橋で、
国の有形文化財に登録されています。
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社務所前から参道を戻ると、左側に庭津火神社があり、奥津彦神
奥津比女神(おくつひめのかみ)が祀られ、竈の神とされています。
庭津火神社には社殿が無く、塚の形をした封土をご神体とし、
神域内を守護しています。
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塚の形をした封土には、巨石が据えられています。
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東門への参道から出て、JRさくら夙川駅へ向かい、神戸駅まで行き、
神仏霊場巡拝の道70番(兵庫5番)札所の湊川神社へ向かいます。
続く