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今津港から国道161号線を南下し、途中白髭神社に立ち寄る予定でしたが、
神社は大勢の人で混雑していたため断念。
その先では国道も渋滞していました。
堅田まで南下して、琵琶湖大橋を渡り、湖岸道路を北上して予定より
20分遅れの14:40に長命寺港に到着しました。
現在は長命寺山の東側は大中之湖干拓地が広がっていますが、
干拓以前の長命寺は島の中にあったそうです。
かつての巡礼者は、三十番札所の竹生島・宝厳寺から船で
長命寺に参詣したそうです。
また、安土の城下に物資が運ばれた水上交通の要衝でもありました。
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港から道路を渡った所に日吉神社があります。
創建の詳細は不明ですが、滋賀県神社庁の記録によると、
「平安時代の承和3年(836)、長命寺の僧・頼智が長命寺再興の際、
山王十禅寺を祀ったと長命寺文書にあるのを創立とする。
その後文政3年(1820)本殿改築の事、棟礼に記される、
明治九年村社に列せられた。」と記されています。
祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)で別名を山末之大主神
(やますえのおおぬしのかみ)とも称し、背後の長命寺山(333m)の
地主神として祀られています。
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日吉神社の右側に穀屋寺があり、推古天皇時代(592-628)に聖徳太子によって
創建され、本尊として聖徳太子が祀られています。
長命寺が推古天皇27年(619)に同じく聖徳太子によって創建されていますので、
同時期かそれ以降と思われます。

平成21年(2009)、穀屋寺から熊野観心十界曼荼羅
(くまのかんしんじつかいまんだら)2点と
長命寺参詣曼荼羅3点が見つかりました。
十界曼荼羅は縦約141cm、横約110~113cm、同じ絵柄で、
上部に誕生から死までの人間の姿が描かれ、中下部に地獄や餓鬼、
菩薩や仏など仏教の世界観を表す「十界」を表現しています。
中央上部には十界のうち「仏界」の阿弥陀、薬師、釈迦の三仏が描かれています。
戦国時代末期と江戸時代後期の作とみられ、戦国時代末期のものは、
全国で確認された十界曼荼羅約60点の中で最古級とされています。

参詣曼荼羅は縦約154~約161cm、横約159~約180cmで、
長命寺の境内を上から眺めた視点で描かれています。
3点はそれぞれ戦国時代末期、江戸時代中期、同後期の作と推定されています。
長命寺は永正13年(1516)の兵火で焼失し、寺の再興のため、16世紀半ば頃から
尼僧が全国を歩きながら十界曼荼羅を用いて布教し、浄財を集め、穀屋寺は、
長命寺再建のため全国に寄付を募った僧や尼僧の拠点となりました。
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穀屋寺から奥へ進むと石段があり、標高約250mにある本堂まで808段の
石段の参道が続き、約20分の時間を要します。
山道を車で登り、本堂下に駐車場があり、楽する方法もあるのですが、
せめてこの短い間だけでも巡礼者になって歩いて登りたいと思います。
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少し登った左側に宿院・妙覚院があります。
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更に登った所に現れたのは鳥居でしょうか?
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付近にはいくつかの石碑が立っています。
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鳥居らしきものをくぐった先にも石段が続きます。
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更に登ると右側に禅林院の石柱が立っていますが、それらしき建物は見えません。
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参道脇に小さな祠があります。
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中には石仏らしきものが祀られているようです。
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祠から更に登ると厄除不動尊が祀られています。
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ようやく冠木門が見えてきました。
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門をくぐると本堂を仰ぎ見ることができますが、まだ石段が続いています。
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左側に長命寺書院があります。
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玄関の衝立には孔雀が描かれています。
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本堂前まで登り右側へ進むと、本堂の裏側に当たる所に閼伽井堂があります。
天智天皇6年(667)に近江大津宮へ遷都した天智天皇は、大津宮の鎮護と
天下泰平を祈願するため長命寺に参拝しました。
その折、この古井戸で念仏を唱えたところ、水泡が浮かび出たことから
「念仏井戸」と呼ばれるようになりました。
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閼伽井は今も清水を湛えています。
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堂内上部には仏像が安置されています。
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閼伽井堂の右側にある石段を上った所に、天正17年(1589)から
慶長2年(1597)にかけて建立された三重塔があり、
国の重要文化財に指定されています。
永正13年(1516)の兵火で焼失する以前には、鎌倉時代の
元応2年(1320)に建立された塔がありました。
現在の塔は高さ24.35mで、県内に現存する三重塔七基の内、
二番目の高さを誇ります。
初重内部は須弥壇を設け、胎蔵界大日如来像(桃山時代)と四天王像
(鎌倉時代)が安置され、共に近江八幡市の文化財に指定されています。
大日如来像は像底の銘から天正17年(1589)、七条仏師の作と判明しました。

三重塔の左奥に護摩堂がありますが、撮影に失敗しました。
護摩堂は三重塔に続いて慶長11年(1606)に再建されたもので、
国の重要文化財に指定されています。
再建後間もなく、屋根の葺き替えで二重軒付に変更されましたが、
昭和49年(1974)の半解体修理で、一重軒付に復元されました。
堂内には本尊として不動明王像が安置されています。

本堂へ向かいます。
続く